日常に伝統がある暮らし

家での時間が好きだから、暮らしをワクワクさせてくれるもの、大事にしたいことを記録する。

日本を楽しむ新たな視点

3歳になった娘は良いわけが上手になりました。

あれが嫌、これが嫌、〇〇だからもうやらないなどなど

ただわがままを言うだけなら聞かないけれど、意外としっかりと理由を言うものだから、「わかった」と返事をすることもしばしば。

 

「料理が不味いからもういらない」なんて言われてしまうと、不味い料理を無理やり食べさせられるのは苦痛だなと思うので、「まずいなら・・・食べなくていいよ」と答えることもしばしば。

 

子供って良く考えてるな~。

 

今日はどんな1日でしたか?

 

私はBRUTUSを購入しました。

真っ赤な表紙に目がとまり、パラパラとページをめくると伝統建築について解説されていました。

私の中で伝統建築は、「歴史」というカテゴリーにあってあまり気にも留めていなかったのですが、ページをめくるたびに何百年も前の建築がどうしてこんなにも美しいんだろうと不思議なワクワク感を覚えました。

 

学生時代は建築物をみてすごいな~と単純な感想はありましたが、建物の形や構造、どのように建てられたのか、そんなことを考えることはありませんでした。

 

勉強は得意ではなかったので、「歴史」という感覚ばかりにとらわれて楽しいと思えなかったのだと思います。

 

今では手に入れることができない資源、作り手の思いや技術、建築や歴史の知識はありませんが、単純に美しいなと感じました。

 

こんな視点でも日本を楽しめたんだな~と実際に観に行きたくなりました。

 

 

せっかくだから楽しんだ方がいいよ。

どんよりとした曇り空でしたね。

今日はどんな1日でしたか?

 

各家庭によって形は異なりますが、家族とはどんな形だと居心地がいいのだろう。ということを考えていました。

 

誰が決めたわけでもないのに、男は仕事、女は家事という役割分担に固執してしまうのはなぜか。

家事は、実験があり、観察があり、組立てがあり、歴史があり、いろいろなことが楽しめるはずなのに面倒に感じてしまうのはなぜだろう。

 

私たちの暮らしは、集団生活、大家族、核家族へと塊が小さく変化した。

形が大きい場合には、1人ではできない事もカバーしてくれる人がいただろう。できない事は誰かに頼る。そんな環境があったのかなと思う。

だけど、今はどうだろう。

頼れる相手がいないので、私がやらなくちゃ、と無意識に自分を縛りつける。

家事をうまく配分できればいいのだが、人間すぐには変われない。

 

・・・・

 

書いてみて思ったけど、私の家事やってあげてる感も強いような・・・

夫側からしたら、「私ばっかり!」みたいな言われ方したら、やりたくなくなるかも。

 

家事楽しんでる感をどうやったらだせるか知らないので、実験してみるか。

まずは私を知りたい

今日はどんな1日でしたか?

 

図書館に行ったよ。

本を読むようになったのは大人になってから。

 

色々な人の思考に触れるのがこんなに楽しいことだなんて知らなかった。

自分が手に取る本は興味を持った本ばかりだけど、気になる人のオススメや

違った視点で書かれた本は新しい考え方をくれる。

 

それは、狭い世界で生きてきた私にとって「もっと早く知りたかった」

ということも少なくない。

 

混乱することも多い。

 

気になる本を探していたら、外山滋比古さんの「人生二毛作」のすすめに出会った。このまま同じような時間がずっと続くのかな?と言いようのない不安と私はどんな人間なのかを知りたいと何度も何度も同じ思考を繰り返していた私にはとても良かった。

なんだか、私に足りないのはこれだな、と占い師に言い当てられたような感覚を味わった。

 

こういう出会いがあるから図書館や本屋は良い場所だね。

 

帰りたい場所をつくる。

今日はどんな1日でしたか?

 

反省しました。

娘が突然泣き出したんです。

どうしたんだろう?と思うより前に感じました。

影響を与えてたんだ・・・

それは、

仕事だった私、休みだった夫、そんな時のこと。

私は仕事帰りにゆっくりできるのは久しぶりだったので、

夫が夕飯の準備をしてくれるかなと勝手な期待を持って寄り路をしていた。

そんな勝手なワクワク感を持って帰宅したもんだから、ご飯だけたかれて

台所のうえに無造作に並べられた野菜たちをみてガッカリ。

私が勝手に期待して勝手にガッカリしただけのはずなのに、

そんな思考回路はどこへやら・・・

夫に対してひどい言葉をぶつけてしまった。

食卓の空気はどんより。

そんな雰囲気を娘はしっかりと感じていた。

仲直りをさせようと必死だった。

 

娘が突然泣き出したのはこれだ。

不安にさせていた。

私の身勝手な思考から生まれた物が大事な人を傷つけた。

一番幸せにしたいと思う人なのに。

 

感謝はたくさん言おう。

怒りはぶつける前にどうしたら解決できるか考えるクセをつけよう。

怒っても人は動かないし良いことが無い。

不器用で困る。

今日はどんな1日でしたか?

 

ねむい目をこすり起床。

あたたかい手ぬぐいを顔にあてて一息。

自分で染めた手ぬぐいを眺めることもある。

いい色合いだな~と自己満足に浸る。

 

今日から仕事始め。

よし。と気合を入れて自分と向きあう。

今日はだれを笑顔にできるだろう。

 

仕事に向かう電車内で、

能力の低い私でもなにかできることはあるはず。

ネガティブよりポジティブに。

考えるより行動してみよう。

そんなことを考えた。

 

 

 

私は、怒られるかな、迷惑かな、私なんて・・・

いろいろな勘違いでチャンスを逃してきた。

 

「周りに合わせる」ということに必死で、自分自身をおろそかにしてきた。

 

私はどんな人間か、どんなことができるのか

表現する練習が必要だ。

 

だから、「今日はどんな1日でしたか」

と自分に問いかけて、良かったこと、悪かったこと、考えたことなんでもいい。

記録することを習慣にしよう。

 

*お気に入りの手ぬぐい

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私の好きはなにか。そしてこれから

2017年はどんな1年でしたか。

なにとなくブログを始めた頃に遡って振り返ってみました。

 

いくつかの記事を読んでいて思うことは、2016年は私の好きを発見した年でした。

ただ、私はこれまで「なんとなく」という感覚で生きてきた人間なので、2016年に発見した私の好きは、

・なんとなくこれを見ているとワクワクする

・もっと使いたい

・みんなも使ったらいいのに!

と具体的に言葉に表せないんだけど私はこれが好きだ

と思える物との出会いがあった年だった。

 

では、2017年はどんな年だったのだろうか。

農業体験をして、風呂敷、てぬぐいの使い方について考え、刺し子づくり没頭...

 

振り返ってみて思うのは、「私はなぜそれが好きなのか」の確認作業と「好き」をどう表現すればいいのかを考えていたのだと思う。

 

いまさら?と思うのだけれど、私は小さいころから姉のマネをして、グループの中では目立たないように色々と色を変えて生きていたせいか、自分の色を表現するのがとても苦手だ。

大人になってから自分の好きを認識して確認作業まで行っているのだから、それを誰かに伝えようと表現をするのはとても時間がかかりそう。

でも、私はどんな人間なのかと自分を客観的にみて知ることができるのはとても面白い作業だった。

まあ面白いといっても、自分の苦手なことや学生時代から疑問に思っていた謎に納得したりということがほとんどだったかな。

でも、なぜだかわからないけど小さいころから苦手だったなと納得できたことで自己肯定感につながった。

 

話を戻して、「私はなぜそれが好きなのか」については、

主に「暮らしの中で育まれてきた文化」が好きなのだと思う。

 

トマトやキュウリ、ゴーヤ等は家庭菜園で作られたりしていますが、上手に育てられるひととそうでない人っていますよね。そのほかにも、野菜がどんな花をつけるのか知っていますか?私は、野菜作りって結構難しいんだろうなと思うんです。

今は野菜は買うものという認識なのであまり深く考えませんが、野菜の作り方を知らないと言うのは、どんな風に作られているか知らないというのと同じことではないでしょうか。

作れなくても、どんな風に作るのか、どんな花をつけるのか、いつが旬なのか、そんなことを知れるだけでもこれまでの食事とは全く違った美味しさになりそうです。

 

風呂敷や手ぬぐいは、ちょっとしたアイディアで暮らしの中で多様に使えるという利便性に感動して好きなんです。

ただの1枚の布なのに?!包んだり、使ったり形にとらわれずフィットしてくれるなんてすごい技術だな~とワクワクしました。特に「真結び」の技術には驚きました。

小さい頃、ゴミ袋がほどけやすいということがありませんでしたか。それは、「真結び」という結び方を知らなかったことが原因だと思います。真結びができていないと紐はほどけやすくなるのです。

何百年も前に発見した知恵なのに、大人になるまで知らずに苦労するのんて・・・

 

というように、私がワクワクすることは、暮らしの中で育まれてきた生活の智慧なのだなと気がつくことができた。

 

さて、これからが問題だ。

自己表現を避けてきた私が、これからどう表現しよう。

手当たり次第にやるしかないが、私が得意な方法は何か。ゆっくりじっくり来年も考えることにしよう。

作ることが楽しい

 

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好きな物はなんですか?

得意なことは何ですか?

 

自己紹介の時には良く聞きませんか?

 

私は質問をされるたびに自分がどんな物や事が好きなのかわからず、分からないまま曖昧に答えをだして、その場をやり過ごしてきました。

過ぎたことは深く考えず、分からない事を分からないままにしてきたのです。

 

だけど今、分からない事を放置したことを反省している。

 

自分は何が好きで、何が嫌いで、何が得意で、何ができるのかがわからない事でこれから先をどのように進んでいくかを長い間考えているが答えがでていない。

 

自分の事なんて何にも分かっていなかった。

自分を知る作業がこんなにも難しいなんて

 

 

答えはでていないけど、徐々にわかり始めた私のすきを記録しておこう。

 

・人の手で作られているもの

・使い方が限られていないもの

・歴史を持っているもの

・使い込むほど美しくなるもの

 

例えば、

風呂敷は1枚の布だが自由に形が変えられる。

使い方は限定されず多様にある。

現在に至るまで沢山の人に愛されて今もなお活躍している

 

手ぬぐいは使えば使うほど色合いが良くなる

手を拭っても、部屋に飾っても、ブックカバーにしても

子供の洋服にしてもなんでも良い。

デザインも豊富で触覚だけでなく視覚でも楽しませてくれる。

型作り、のりづけ、染め・・・多くの職人技が重なり完成している。

色の付き方、合わせ方、生地に染み込ませるタイミングなど色々な要素が加わって変化をしていく。

他にも、放棄や鉄のフライパンは最初は頑固で使いにくくても、徐々に手になじむように変化してくれて愛着がわく。

 

なぜ手がかかっているものが好きなのだろう。

作ることが好きということも1つだろう。

でも何かが違う・・・

こんな簡単な言葉で合っているのかわからないけど「手で作られている以上絶対に一緒はない」という部分が大きいかもしれない。

 

同じ商品でもちょっとした違いを見つけるワクワク感が私の心をつかんでいる。