賞味期限を気にする夫の言われて気がついたこと。
「あれも、これも賞味期限がきれている!」
ときどき、実家から野菜と一緒にめんつゆやドレッシングが届くが麹生活を始めてからドレッシングを作るしめんつゆも使わなくなってしまった。
使わないのであれば誰かにあげればいいのだと思うけど・・・
各家庭によって使う調味料って違うしなんだか渡しづらい。
そして棚にしまったまま賞味期限を切らしてしまう。
そこで、気がついた。
調味料ってそんなに必要ないんだな。
しょうゆ、さけ、みりん、塩麹、甘酒、しょうゆ麹があれば大半は大丈夫。
だから、必要なことはストックは必要だけど買いすぎない事、自分が使わないものはもらわない。
もらった場合には・・・どうしたらいいのかな。
調味料も寄付できるのかな。
食べ物を捨てることが無いように必要な物を必要なだけ。
作れるものは家でつくれるような暮らしを作っていこう。
これから風呂敷は流行るだろう。そう願って今日も使い続ける。
風呂敷って知っていますか?
今って風呂敷に出会うことって少ないですよね。
お寿司屋さんとかで包んであったりしますけど、ただの包装だと思われてますよね。
私は最初に風呂敷に出会ったのはいつかな~と考えてみると小学生の頃ですね。
当時は包み方など全く知らず、マントにして遊んでいましたね。
小学生の体格だと調度良い大きさなんですよ。
でも、母から風呂敷の使い方は学ばなかったな。
なんで風呂敷使っていなかったんだろう。
最近和雑貨屋さんでは風呂敷見るようになりましたよね?
柄も素材もたっくさんあって可愛いんですよ!
なんで流行らないのかな~。
使い方をちょっと説明します。
写真があるとわかりやすいので、今度載せますね。
まず、基本としてむすび方の種類は2つありまして、真結びとひとつ結びです。
私は風呂敷の結び方を習うまで真結びできていませんでした。
ゴミ袋とかいくら縛っても縦になって、ほどけやすかった原因は真結びができていないことでした。
真結びの説明は・・・すみません。調べてください。
真結びの素晴らしい所は、ほどきやすいのに、縛っている間はほどけにくいというところ。
重いもの持ってもほどけないんですよ!
それについては、風呂敷を抱っこひも代わりにして実証ずみです。
私、良く忘れ物するんです。
先日外出した時も抱っこひもを忘れてしまい、でも娘は寝ちゃって重いし荷物あるしどうしようと困っていた時に風呂敷の事を思い出して、抱っこひも代わりに使ってみたんです。
どこかでほどけたりしないかなと多少の不安はありましたが、問題なく使用できました。風呂敷恐るべし。
風呂敷って古いものと思われがちですが、そんなことありませんよ。
むしろ私の中では新しいものと考えています。
まず、1枚の布なので場所をとらない。洗える。縛り方は覚えてしまえば難しくない。縛り方によって使い方を変えられる。年齢問わず使える。柄が豊富。
最近増えている超撥水加工なら、自転車のかごに、大きい荷物に、鞄のカバーに、子供の食事用エプロンに・・・
布1枚でこんなカバー力があるんですよ?!荷物の多い私にとっては風呂敷が救世主だ。
私は再び風呂敷の時代は来ると思っている。だから今日も風呂敷を自慢気に使い続けます。
実家から野菜が届いた。幸せ。
実家から野菜が届いたよ。
美味しい野菜が食べられる!幸せ~。
さて、今日は何が届いたのかな。
キャベツ、ニラ、青梗菜、ほうれん草、しいたけ、いちご、りんご
たっくさん届いたよ。
どの野菜から食べようかな。
お母さんのレシピ入りだとなお嬉しい。
あぁ!代金支払うので定期便にして欲しい・・・
不思議だな~。
高価じゃなくてもデザートを食べられなくても美味しい野菜を家族で囲む時間が一番幸せを感じる。
私が求めてる納得感のある暮らしってこういうのかも。
美味しい野菜を作って、自分たちで作ったお皿にもって、あーだこーだと食事を評価してがやがや楽しく過ごす毎日ってすごく幸せだと思う。
しかし、この理想に近づくためには旦那さんの説得が必須だな。
子育てはいつだって不安。
私は育児に自信がない。
伝え方、怒り方、親子の関係性。
間違えていないかな?
そんなことを考えてしまうこともしばしば。
ゲームじゃないからね。やり直しがきかない人生だからこそ、育てることはすごくプレッシャーを感じる。
核家族になり、共働きで育児に関して相談する時間もない。
めまぐるしい毎日に振り回されてただがむしゃらに生きている。
でも、ときどき立ち止まって考えてみるの。
私、何しているんだろう・・・
今大切にしたいことは何だっけ。
この先どんな人生を描きたいの。
そんな毎日に不安を感じた時に、子供はお友達と喧嘩をしたり、癇癪をおこしたりする。
何か間違っていたのかな。
そんな答えの出ない不安を抱えてしまう。
でも、パパさんは興味なく「うん。うん。と聞くばかり」
相槌をするだけましなのかしら?
でも、どうしたら育児に対する不安を夫と共有できるのだろう。
私は1人で抱えきれなくなったとき、ドーンと爆発してしまう。
育児は不安で不安で不安で謎だらけ。
1人では怖いけど、2人、3人と楽しく育てられるならもっと賑やかになると思う。
そうすることによって、1人で抱える不安は減り楽しく育児ができるのかな。
そう考えると、大人数で子供を育てることは、母親にとっても子供にとってもいい環境だったのかもしれないな~と思う。
美味しい野菜が食べたくて・・・
美味しい野菜が食べたくて、田舎に帰りたいと思っている。
実家から送られてくる野菜が異常においしくて、塩麹を漬けるだけで満足な一品になる。ブロッコリーは特にわかりやすい。実家の野菜は青臭くなく野菜らしい甘さがある。
何がちがうんだろう。
テレビで「野菜が甘い!」と表現しているのをみると、「またまた何言ってるの」とコメントに対して疑いを持っていたけれど、美味しい野菜は本当に甘さがあることを実感した。
最近は麹が働いて生み出すうまみや米本来の甘さに魅了されて、市販の料理やデザートで感動することが減ってしまった。
菌に魅了されて、体が求める美味しものの基準が変わってきたなと笑えてしまう。
自分でも野菜を作りたい。葉っぱを食べる青虫を観察したい。自然の厳しさを体感したい。そうやって土や虫、自然全体に触れることで日々の生活に対する考え方も変わりそう。
私たちが日々熱心に除菌・殺菌していること。野菜が不自然な程にまっすぐで綺麗なこと。味の変わることが無い味噌。
暮らしのワクワクはどこにあるのだろうか。
お父さんが野菜を作れなくなったらどうしよう。
私が感じた感動をまだまだ野菜の美味しさに気がついていない人達に
教えてあげたい。
食事が美味しいってそれだけで幸せになれるんだよ。
高いお金を払って美しい料理もいいけれど、家庭で食べる美味しい食事も幸せだよね。
一汁一菜でよいという提案を受け入れて。
仕事・育児・家事と時間に追われギブアップ!と宣言しそうになった時に出会えた本。
結婚当時、食事はできるだけご飯、味噌汁、メイン、副菜は欲しいとリクエストがあったので子供が生まれてからも続けようと努力はしたけれど、すべてをこなすには私にも限界がある。
「できません」と宣言するものの、夫からは「今日はこれだけ?」と冷たい言葉がつきささる。
きっと悪気はないのだろう。
でもなぜか、妻として失格の様な気持にさせられる。
周りはすべてこなせていて、私の要領が悪いのだろう。と自己嫌悪に陥った。
そんな時、“忙しいんだから一汁一菜でもいいんだよ”という本の言葉に救われた。
“料理を作ると言うだけで家族のことを愛している”
なぜだろう。不思議と肩の力が抜けた気がした。
これまで慌てて作った中途半端な料理に自分自身があきれ、どうしたものかと悩ませていた私はスッキリと考え方を切り替えて、一汁一菜の提案を受け入れた。
全力でお米と味噌汁を作り、麹で漬けた野菜を食べる。
そうすることにより、時間に余裕ができ、子供ともイライラせずに向き合える。
私は重要なことを間違えていたのかもしれない。
家庭料理は完璧じゃなくてもいい。食卓を囲んで楽しむということが一番なのかもしれない。
夫からの批判をはねのけて、これからも私なりの精いっぱいの一汁一菜を作っていこう。
美味しい野菜に出会えなくなる日も遠くない気がする。
おいしいとはなんでしょう。
私は炭水化物が好きです。
最近になって特に美味しいと感じるように思ったのはお米ですね。
これまでは、食べれればなんでもいいと食に対してこだわりのない私でしたが、味覚が敏感な子供ができてから、どのお米なら満足なの!子供が美味しいと思う味はなんなのか・・・と美味しさの追求が始まりました。
そして、美味しさを追求する過程で、今まで気がつかなかった味の違いや食感、炊きあがりの匂い、色つやの変化が楽しくなって最近ではおにぎりは白米のままか味噌をつけて食べるのがブームになりました。
何もしなくても食材は美味しい。
そんなことを考えさせてくれる時間でした。
お米の美味しさと出会いと同時に麹を知り、甘酒に魅了されていきました。
私たちが口の中で行う分解活動がこんな身近にあったなんて・・・
炭水化物そのまま食べるより効率的じゃないか!
いいことづくしだ。
そう。ここでもお米は関係している。
色々な米麹を購入して甘酒を作ってみると、地域によって味が異なり、それぞれお米の美味しさが違うのと同じことなのかな、とまた好みの米麹を探す楽しみが増えた。
最近では購入することでは事足りず作ることにも夢中になっている。
私はお米に出会い、米麹にであい、麹菌を知った。
日本人なのにいまさら・・・と少しのショックを感じたが、出会えてよかったとホッとした。なにより、麹菌が繁殖する生命活動の美しさに出会えたことが嬉しい。
そんな可愛い微生物を観察していると、微生物は私たちの身の回りにたっくさん生息していて、暮らしを支えていることを知った。しかし、同時に微生物は薬や化学物質によって住めない環境になっていることも考えさせられた。
農薬を散布された土の中には微生物は生息することができず、化学肥料頼り。
微生物が栄養や野菜のうまみ・甘みを生み出していたのだ。
そのほかにも果物にも農薬が付着して酵母菌が発生しない。
玄米は発芽しない。
自然では考えられない事が増えているという現実に驚かされる。
私たちの暮らしは自然界との共存によって成長してきたはずなのにどうしてだろう。
なぜ私たちは価格だけをみて食物を選んでいるのだろう。
生産者の思いや自然的な美しさを感じられるためにはどうしたらいいのだろう。
そんな思いから、私もゼロから野菜を作ってみたいと考えている。