作ることで見えてきた。私の好きなこと。
作るって楽しい。
私の人生の中で何度か湧きあがる創作意欲。
今回は、子供服を作ってみたいなと思い立ち、手ぬぐいズボンに始まり、
大人の古着からリメイクをしてみたり、子供服の型紙を購入して
作ってみたりと挑戦を続けています。
不器用なので、家の中ならなんとか・・・と言う程度のできで、もう少し見栄え良くするためにはしばらく練習が必要かな。
始めて作った洋服のなかで、手ぬぐいズボンはとっても簡単にできて、不器用な私にも1時間以内でできたよ。他にも何着か作りたいなと思ったものの、秋目前で手ぬぐいズボンの楽しさに気がつき、100円均一に足を運ぶも、真夏に大量の手ぬぐいが並んでいたコーナーはハロウィンに様変わり・・・もっと早く気づいていれば!と悔やみます。
洋服は、本や動画をみても分からない所や、上手くいかない所が多くて失敗続きだったから、旦那さんに、「洋服を作るって難しいね~」と話をしていた時に、
「これまで何か作る行為って続けてきたの?」と聞かれて、振り返ってみると、不器用だけど作るのは嫌いじゃなかったなと思いだしたの。
小学生のころは、フエルトで人形を作って、中学時代は・・・部活に燃えてたな。
高校時代にはこぎん刺しが可愛いと思ってキットを購入してみたり、その後は料理教室に通ったり、陶芸体験、江戸切子体験、伝統工芸品を見るもの好きで、最近は野菜の収穫が多いかな。麹や味噌や醤油も作って楽しかったな~。アイディア次第でどんな形にも変えられる手ぬぐいや風呂敷も大好き。
作ったものは愛着も湧くし、伝統工芸品は職人の技術に魅了される。
買うのがあたり前の時代だからかな。作品が出来上がる過程にワクワクする。
こんな風に人生を振り返ってみると、不器用って分かっていても、やりたいと思ったことはとりあえず挑戦してみるのが私の良い所だなとポジティブにとらえることができた。
よし!もっと練習して洋服作れるようになるぞー!
■
スーパーで買い物をしているとき、
道を歩いているとき、
空を見上げた時、
季節によって店頭にならぶ野菜や草花、雲の形など変化が目につきますよね。
日本には四季があって、季節の変化を感じやすいはずなのに、天気予報やニュースで季節の移ろいを知ることがあります。
それだけ自然と向き合えていない時間が多いということでしょうか。
こんなにも季節を感じにくくなってしまったのはどうしてなのでしょうか。
土はコンクリートに変わり目にとまりにくいから?
携帯ばかり見つめて上を見なくなったから?
旬がわからなくなったから?
私は、どれも正解なのではないかと思います。
普段の生活のなかで、自然に目を向けることは少ないと思います。
私も、子供が生まれるまでは、たんぽぽが咲いてるね、タケノコが並び始めたね、蝉が鳴き始めたね、とうもろこしがあるね、そんな話をすることはありませんでした。
でも、私たちの暮らしを考えると、常に自然と共存し、自然が生み出す食べ物を得て、感謝していたはずなのに、いつの間にか食べ物がある暮らしに慣れてしまっている。
自然との関わりが薄くなった結果、私たちの暮らしが自然に色々な影響を与えてしまっているのではないかと思う。
でも最近は、暮らしのなかで、旬を知って野菜を味わうこと、味噌を作って微生物の働きを知ること、他にもいろいろあるけど、暮らしの中のちょっとしたことでも自然って感じられるんだなと思っていて、そんなことを入口に、畑の土はどんなことをしたら嫌がるんだろう、私たちの食生活を支えている微生物達はどんな働きをして、どんなことをすると働けなくなってしまうんだろうって考えていくことで生活が変わっていくんだろうな。
よし。今日は娘と一緒にぬか床をかき混ぜよう。
暮らしのなかでできること。
時間が無い。
家事短縮のためにはどうするか。
料理は外に頼ろう。
共働きにはあるあるの悩みのように感じる。
家庭の仕事はどんどん何かに依存できる時代。
もうすでに、掃除や食器洗い、洗濯は機械が処理してくれる。
水周りの掃除だって業者に頼むことができる。
便利だけど、依存してやらなくなることで家事能力も衰えそう。
子供は、家庭での事をどこで教わるんだろう。
雑巾を絞ったりできるのかな。
エプロンをして料理をしたりするのかな。
洗濯物が上手く干せないとかあるのかな。
箒の使い方がわからなくなるのかな。
現に、私たちは野菜を作らなくなり、購入するようになったことで
野菜の事を知らなくなった。
どんな種でどんな花で、旬はいつなのか。
どんな野菜が美味しい野菜なのか。
私たちの身体は、使わなければ衰える。
暮らしの中には子供と遊べる要素が多いと思うのに
どんどんおもちゃが増える時代。
私はおもちゃではなくて、家庭の中でできる遊びや実験を
考えていきたいな。
今子供は箸置きに夢中になっている。
でも、大人にはわかる微妙な凹みが子供には分かりづらいようで、
上手くお箸がおけないと怒ることがしばしば。
どんな風に使うかも教えつつ、ブームにのせて、
使いやすそうな新たな箸置きを探しにいこう。
箸置きを使うことで、食事のストレスが軽減。
食事の時間を楽しむためにはどうしたらいいの?
育児の中で食事の時間はボロボロこぼすごはん。だらだらとお箸が進まない時間。
姿勢の悪さ、好き嫌い・・・
バタバタと帰宅して、食事を準備して、やっとゆっくりできるー!と思ったら、
娘のわがままが量産。
私にも少し休憩させてくれ。とイライラしてしまうけど、
折角娘とゆっく話せる時間でもあるのに、不機嫌なまま食べるのは
もったいないよね。
「はやくして」「自分で食べて」「ふらふらしないで!」
沢山遊んで疲れているのは娘も一緒なのかな。
注意ばかりされて食べる食事は、楽しくないかもね。
どうしようかな~と考えて、思いついたのが箸置き作戦!
私は早食いで、消化に悪いなとも思っていたので好都合。
箸置きを使うことで、ゆっくり食べられるから娘と会話もできるし、
以前までは、ごはんを早く食べて、〇〇時までには片付けなくちゃ!と時間に追われていたけれど、最近は、まあいいかな、とゆっくりと食事を楽しんでいる。
たったこれだけなんだけど、感じ方が全然違う。
娘の反応はというと、箸置きを気に行ってくれているようで、食事の準備を手伝うようになってくれた。
話を聞いてくれているという安心感からか、突然怒り出すことが減ったかな。
箸置きは食卓のなかで不必要に思われているけど大事な存在なのね。
明日は、新たに手に入れた津軽びいどろの箸置きを眺めながら、どんな話をしようかな。
どんな暮らしをつくろうか。
家事の時間を短縮するために便利な物がでてきている世の中なのに、
なぜ私は時間をかけて家事をしているんだろう。
頼ることが嫌というわけではないけど、
頼ることで、暮らす技術を忘れていくのももったいない。
石鹸を使わなくなったら、石鹸の良さを忘れてしまう。
伝統工芸品も、身近になければ意識しないではないか。
どんな材料で、どんな工程を経て作られているのか。
食器の洗い方や雑巾の絞り方。
畳の掃除の仕方、手入れの方法。
裁縫や着物の着方。
といっても、手がかかる作業が好きと言うだけかもしれない。
人は使わなければどんどんと忘れていってしまう。
私は、大人になって、暮らしの中の楽しさや、日本の良さに魅了されている。
技術や方法を「歴史あるもの」ではなく、なぜかワクワクさせられる、そんな風に
感じてもらえるために、家庭のなかでどんな風に楽しんでいこうかな。
夫が落ち込んでいる。
育児は謎だらけ。
だから楽しいという部分もあるけれど、これでいいのか?と不安に思うことの方が多い。
子供に質問をしたところで正確な答えは返ってこない。
本人の気持ちは親にもさっぱりわからない。
なぜ、娘は夫とのお風呂を拒否するのか。
「パパとのお風呂はイヤ!」
そんな発言をし始めた当初は、父親にちょっとした意地悪なのかな?と「ハハハ!」と笑い飛ばしていた。
しかし、最近の拒否ぶりをみると本当にイヤだと思っているようだ。
おもちゃでつってみたりするものの、すべて拒否。
野菜を食べない娘に対して、「野菜を食べないならパパとお風呂だよ」と言うと、しかたがなく野菜を食べると言う状況。
父親が嫌いなのか?と思われるがそうでもなく。
父親の帰宅は喜んで出迎え、遊びもする。ただ、お風呂がイヤなだけ。
・・・なぜだ?
この状況が続くのは良くないのではないか。
早めに何とかしなければいけないな、と感じる状況まできている。
夫婦中はどうか?
夫婦中は悪くはないと思う。会話はあるし笑いもある。
もちろん、時々家事のことでもめたりはするがそんなにひどいものでもないと思う。
父親の印象をさげてる?
父親を嫌うことで、すべてのしわ寄せが私にきている状況はどうにかしたい。
嫌いにさせる理由がない。
ただ父親が怖いだけ?
どうだろう。
怒ると怖いかもしれない。
育児に参加したいと積極的なのに、育児をさせてもらえない夫はすごく寂しそう。
子供の気持ちはさっぱりわからない。
なんだか、夫がかわいそうに思えてきたので、大事にしよう。
子供の味覚に驚く。
子供は美味しい野菜を見分ける天才かもしれない。
スーパーで買った野菜で作った味噌汁は口に入れても“ペッ”て吐き出すの。
ところかまわず吐き出して床に落としたりするからときどきイラっとしたりする。
でもね、実家から送られてきた野菜で作った味噌汁はなぜか大きな口をあけて食べるの。
変えたのは野菜だけ。
なぜ?
無農薬の野菜を食べてる人は味を見分けるのが得意って言うよね。
それと同じようなものなのかな。
本能で何かわかるのかな。
実際に実家から送られてくる野菜は柔らかいし美味しい。
きゅうりは特に差がでる気がする。
こうやって、野菜を作ってくれる人がいて、その野菜を食べれる環境が贅沢だと思う。
自分で食べる分の野菜を自宅の庭で収穫できて、多くとれたものはご近所へ。
違う種類の野菜を作っていたらお返しがきたり。
私はそんな暮らしがやっぱり羨ましい。