きうちのきろく

考えたこと、好きなこと、悩みごとのきろく

風呂敷バックでおでかけ

手芸用品店で、バンブーの持ち手を購入した。

近所の雑貨屋では、ずっと気になっていた風呂敷専門店むす美の竹久夢二シリーズの椿を購入した。

 

風呂敷はいくつか持っているが、それぞれ生地やサイズが違い、用途によって使い分けている。超撥水風呂敷は普段使いの風呂敷であり、突然雨に降られた時の雨除けや、鞄を守るカバーになり重宝しているので、必ず鞄の中には1枚入れている。

 

私が持っている風呂敷は、比較的柔らかい生地が多く、エコバックや何か荷物を包む際には便利なのだが、ハンドルと風呂敷を使って鞄にするとイマイチしっくりこない。

中身の形が目立ち、形が保てないがために少しだらしのない鞄の様に見える。

使い方が違うのもあるのだろう。

 

竹久夢二シリーズの風呂敷は、しっかりとした生地で形を保ちやすかったので、バンブーのハンドルと共に、鞄にしてみたところ、とても良い。

お尻はまるっと、縛り口はキリッとしていて全体にはかわいらしい雰囲気をだしている。理想的な形だ。

今まで感じていた柔らかい布感がだすクタっとした感じもなく、鞄の荷物もあちこち移動しない。また、椿シリーズは普段着と合わせても違和感がなかった。

 

使ってみて感じたことは、仕切りもなく鞄の形が変わるので、荷物が沢山入る。

子供と出かけると、飲み物、おもちゃや手袋など突然かばんにしまわなければいけない場面に遭遇することがある。そんな時、普段小さな鞄ではできなかったであろうことが、風呂敷鞄ではストレスなく対応することができた。

 

これはいい。気にいった。

風呂敷のデザインで簡単に鞄の雰囲気を変えることができるので、その時々の気分で選ぶことができる。

 

椿シリーズを色違いで揃えようかな。

 

 

娘のことば

子育てをしていると、発想が面白いな~と笑ってしまうことが多くある。

 

野菜がたっぷりと入った味噌汁、もやし、ハクサイ、ブロッコリーなどが入った蒸し野菜が食卓に並んだ。

娘は「嫌だな~」という顔をして一言。

「野菜食べなくていい?」と聞いてくる。

 

私が首を横に振って「デザートいらないならいいよ」と答えると、むすっとした顔で

「デザート食べる!」と言い返してくる。

 

しかたがなく娘はブツブツと文句を言いながら味噌汁を食べ始めるが、もやしはどうにも苦手なようで、いろいろな言いわけがでてくる。

「保育園では食べたことがない」

「保育園では出てこない」

園での出来事を持ちだして説明をするのだ。

 

逆ではどうなのか。

園では、

「近所のスーパーでは売ってない」

「家で食べたことが無い」

 

と場所を考えて発言の内容を変えていた。

 

ただ「食べない」と食べることを拒否するのではなく、食べない理由を相手に伝わるように説明し、場所、人を考えて内容を考えていることに面白いな~と思う。

 

どこで覚えるのだろう。

カフェオレが美味しくて

私はおっちょこちょいで、何事にもワンテンポ遅い。

 

最近、鏡を見て気がついた。

口周りにできものが増えた。

鼻の下に2つ、頬、口周り。赤みがひどく、なんて顔だと思ってしまう。

乾燥かな~と赤みの原因を放置していたが、一向に治る気配がなく、いよいよ「なぜだ?」と日々の生活を振り返ってみた。

 

以前、コーヒーを飲みすぎたせいか胃を痛めたことがあり、コーヒーは好きだが、胃には優しくないかと考え、カフェオレにして飲むことにしたのが約1カ月前。

 

子供を産んでから、乳腺炎になりやすいということで、牛乳を飲むのを控えていた。

飲まなくなると不思議と飲む機会が減り、最近まで牛乳は買っていなかった。

 

久しぶりに飲む牛乳は甘く美味しく感じた。

カフェオレは優しい口当たりでほんのり甘く苦みとのバランスが良い。

カフェオレにハマった私はカフェオレを良く飲んだ。

 

食事内容が大きく変化したのは牛乳だと思う。

乳脂肪も多いので、できものができやすくなったのだろうか。

 

ここでいったん牛乳と距離を置いてみよう。

肌の新陳代謝が遅くなってきているので、変化を確認するまでに少し時間がかかりそうだが、肌の赤みが綺麗になるのを祈るばかりだ。

表現の練習

テーマを決めて、好きなように描いてください。

美術の時間を思い出す。

 

美術は嫌いではなかったが、私には独創性がない。

答えはないよと言われていても、どう描けばいいのかもわからず答えを探していた。

 

いけばなを始めて、今日の花材をみて、表現したい物は何かを考え、美しさをどう表現するか考えるということが必要になった。

自由花を始めた私は、学生の頃から変わらず戸惑っている。

 

先生には「自由にさしてごらんなさい」と言われるが、私が感じた世界のビジョンすら見えず手を動かすことができなくなる。

 

こんな風に表現したい!と思いながら活けるのと、こんな感じかな?と活けるのではきっと周りからみた印象は違うだろう。

 

答えばかりを探してきた私は、こんな風に考えているという表現が苦手だ。

だけれども、表現をしないのはなんだかさみしい。

 

稚拙だけれども、私はこう考えている。

そんなことを表現できるように練習しかない。

しあわせの時間

今年からいけばなを習い始めました。

教室でいただいた花材は、自宅でも活けなおすので、最初の頃は部屋に花が飾られていることに違和感を感じていた。

花は小柄だけれどとても存在感がある。

 

朝、目が覚めると昨日とは違った姿の花がいる。

「おはよう」と声をかけることはしないけれど、「あ、つぼみが広いた」と成長を楽しむことができ、花を飾ることの良さを感じ始めている。

特に、「いい香り」と思って顔をあげた時に、綺麗に咲いた花をのんびりと眺められるのはとても幸せだ。

 

教室で使用した花材が啓翁桜だったので、今週は珈琲を飲みながらのんびり花見気分。

 

以前までは、部屋に花を飾るのは手入れも面倒でちょっとな・・・と避けていたけれど室内が鮮やかになり、癒しがあり良い。娘も「綺麗ね~」と花を楽しんでくれている。

 

最近はコンクリートばかりで、道端に花が咲いているということも少なく、花を見るという機会が少ないのかもしれない。

そんなことを花を生けるようになってから考えた。

 

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寒い日でも散歩が楽しい

昨日の食卓にはイカのバター醤油炒めが並びました。

娘は、イカのうま味が気にいったのか、足をパクパクと食べていましが、噛むことに一生懸命でなかなか食事が進まずすべてを食べさせるのに苦労しました。

集中力が切れると遊び始めてなかなかお箸がすすみません。

みなさんどんな風に飽きさせずに食べさせているのでしょう。

 

今日はどんな1日でしたか?

 

私は先週からいけばなを習い始めました。

昨年、何度か知り合いの人に華展やイベントに誘われて足を運んでいました。

花をいける技法はさっぱり分かっていませんが、同じ花でも活ける方によって見え方が全然違うんですよね。ですので、私はその表現方法の違いや単純に花が綺麗だなと思える感覚に感動しました。

実家では花を飾るという習慣はなく、私の中では、花はもらった時に飾るものといったイメージでした。

 

教室で活けた花は自宅に持ち帰ります。

花瓶がなく何か都合の良いものに花を入れて飾っていますが、部屋に植物があるというのは良いものですね。

ふとした時に目につき、「あ、花が咲いた」「昨日とはちょっと印象が違うな」など日々変化していることがあたり前の様に感じられます。

外出をした時にも、「今はどんな花が咲いているのかな」と道端に咲く草花を気にするようになりました。

花の名前がわからないので勉強が必要ですが、寒い季節でも外出が楽しくなりました。

 

娘も「綺麗な花だね」と興味を持ってくれているようです。

日本を楽しむ新たな視点

3歳になった娘は良いわけが上手になりました。

あれが嫌、これが嫌、〇〇だからもうやらないなどなど

ただわがままを言うだけなら聞かないけれど、意外としっかりと理由を言うものだから、「わかった」と返事をすることもしばしば。

 

「料理が不味いからもういらない」なんて言われてしまうと、不味い料理を無理やり食べさせられるのは苦痛だなと思うので、「まずいなら・・・食べなくていいよ」と答えることもしばしば。

 

子供って良く考えてるな~。

 

今日はどんな1日でしたか?

 

私はBRUTUSを購入しました。

真っ赤な表紙に目がとまり、パラパラとページをめくると伝統建築について解説されていました。

私の中で伝統建築は、「歴史」というカテゴリーにあってあまり気にも留めていなかったのですが、ページをめくるたびに何百年も前の建築がどうしてこんなにも美しいんだろうと不思議なワクワク感を覚えました。

 

学生時代は建築物をみてすごいな~と単純な感想はありましたが、建物の形や構造、どのように建てられたのか、そんなことを考えることはありませんでした。

 

勉強は得意ではなかったので、「歴史」という感覚ばかりにとらわれて楽しいと思えなかったのだと思います。

 

今では手に入れることができない資源、作り手の思いや技術、建築や歴史の知識はありませんが、単純に美しいなと感じました。

 

こんな視点でも日本を楽しめたんだな~と実際に観に行きたくなりました。