実家から届いたキャベツがすっごく美味しい。
キャベツが美味しい。
ブロッコリーが美味しい。
原木しいたけの香りがいい。
食べ物が美味しいだけで笑顔になれる。
疲れてイライラしていても野菜の甘さに「美味しいね!」と伝えずにはいられない。
家庭料理って豪華じゃないけど幸せ。
土井先生の本を読んでから特に食卓で味わうご飯の重要性を感じる。
野菜が美味しいと何が良いかって、出汁をとらない味噌汁を作っても野菜嫌いな子供がパクパク食べるの。
子供の舌ってすごく敏感で大人より味の変化に厳しいの。
美味しくないときには絶対に食べない。時々私でさえも「この野菜は青臭くて食べれない」と思う野菜に出会うことがある。
だから私はすごくもったいないと思ってる。
なぜかって?
だって美味しくないなって思う野菜買っているんだよ?
趣味で作ってる野菜のほうが美味しいってどういうこと。
野菜高いな~!と思うこともあるでしょ?
安さを求めすぎた結果が今なんだろうね。
私は野菜の育て方、野菜の手入れ、収穫そのほかにも流通に乗せるために色々な大変な作業の事を知らない。
オーガニック野菜との差はなんだろう。
安心して食べられるということももちろん重要だけれども、値段だけでなく商品の美味しさや生産工程、生産者の事まで知って納得して購入してもらうためにはどうしたらいいのだろう。
自然と共存しながら生きている農家は本当に素晴らしいと思う。
野菜の美味しさの不思議を調べるためにも自分でも野菜作りに挑戦してみよう。
キウイのホットケーキはちょっと違いました。
平日はおにぎりと味噌汁が食べたい私ですが、土日の朝はパンケーキが食べたくなる。
最近は甘酒とちょっとの砂糖でほんのり甘いパンケーキ。
フワフワしているのよりもしっかりとした感じが好みです。
私が小さい頃、おばあちゃんが作ってくれたバナナ1本入ったホットケーキがとっても美味しかった記憶はあるのだけれどどんな風に作るのか覚えていない。
ホットケーキの真ん中にただただバナナが1本入っていただけのような印象なんだけど・・・そのままバナナ入れて焼くと柔らかくなってぐちゃぐちゃなパンケーキができた。あれ?こんなホットケーキじゃなかったぞ。
バナナも入って焼かれていたのは記憶違いだったかな?
今日はキウイを沢山いただいて余っていたので、ホットケーキにいれてみた。
そしたら・・・すっぱいホットケーキになった。
まぁそうなるよね。想像できるよね。
ホットケーキがすっぱいって・・・腐ったホットケーキだよね。
キウイに申し訳ないことをした。
そのまま食べてもらえていたら美味しいキウイだったのに。
私が責任をもって全部食べましたが。
最終的にでた結論は、フルーツはそのままで美味しいんだからなにもホットケーキに混ぜて焼かなくてもホットケーキとフルーツで食べたほうが美味しいのかもということ。
想像できる味かもしれないけれど実際にやってみて失敗することも大事だよね。
キウイはダメだったって記憶に残るから。
美しい世界を見逃していたのかもしれない。
微生物の力強く生きる姿に魅了されている。
もちろん。発酵は日本の伝統食で体にも良いのでもっともっと食事の中に取り入れていきたいし楽しく生活していきたいと思っている。だが、体に良いと言うだけでなく私の中で発酵に対して違う感情が生まれている。
なんだろう。なぜこんなにも微生物の活動に魅了されるのだろう。
毎日が無骨なビルやコンクリートに囲まれて、満員電車に乗り同じリズムの生活の繰り返す。時間に追われて忙しさにイライラし夫に対しても一言余計な言葉をぶつけてしまう。優しくしたいと思っているのに余裕が無い。
食卓は家族そろって笑って過ごしたいのに重い空気が流れる。
そんな時、自分の役割を把握してプクプクと音をたて、ゆっくりと着実に仕事をこなしていく微生物を美しいと思った。
他にも 二股に分かれた大根、虫に食べられた穴のある白菜、そんな自然的な野菜にも美しさを感じて癒される。
そして私は美しい世界を見逃していたのかもと気がつかされる。
私が発酵や野菜、自然に関わって生きていきたいと強く願うのは美しさに惹かれているのだと思う。
こんなにも強く好きだと思えた事は初めてだ。
日々あたり前にある存在として見過ごされてしまう日本伝統の美しさを子供と共有してつなげていきたいなと思う。
ぷくぷく発酵させたいのだ!
日本の食文化を生活に取り入れようと始めた麹食。
今や麹は食卓に無くてはならないものになってきた。
美味しいのはもちろんのこと便秘だった体に変化が起きているのが非常によくわかる。麹文化バンザイ!
我が家に麹がきてから食事も徐々に変化しているように感じる。
冷蔵庫には塩麹、しょうゆ麹、甘酒、トマト麹、三升漬けなどなど多くの調味料と豆腐や野菜、魚などをつけた食材がある。
ズボラ主婦には強い味方だ。
キャベツの塩糀漬けは軽くごま油をかけるだけで十分美味しい。
味噌もお店の自家製味噌、母の味噌、親戚の味噌、一昨年の味噌と味噌の種類が豊富で今日はどの味噌にしようと悩める楽しみが増えた。
使う味噌、出汁、材料によって味が変わり夫と評価しあうのが今の私の癒しになっている。
味噌ひとつでこんなに盛り上がれるとは。
麹は体だけでなく心までも癒してくれるのか。
麹に出会ってから微生物の観察が楽しい。
無農薬の果物で作る酵母液は特に活発さの違いがよくわかる。
ビンから溢れるほど発酵した酵母液でパンを作りたい。
微生物を育てて食べる。微生物が腸内環境を良好にしたのちに排便。そして土にかえす。あたり前のように循環させる時代があった。
環境問題や農薬の事を考えると自然と共存することの重要さを改めて感じる。
食べるもの、使うもの、排出するものをもう一度見直してみよう。
捨ててみて気がついたこと。
洋服の衣替えをするのが面倒で洋服はクローゼットに収納できるだけにしよう。
新しい洋服を増やす時は何かを処分することを考えよう。
そう決めてから洋服を買う回数が減った。
自分が気にいったものだけを残したから処分する洋服がないし新しい洋服を買いたい!という意欲が下がっている。
なんだ・・・少ない洋服で十分生活していける。
少ないからこそ洋服がよく見えて大事にできるんだね。
台所用、浴室用、トイレ用と場所別に洗剤を買っていたけれど、全部捨てて、今はアルカリウォッシュ、重曹、クエンサン、過炭酸ナトリウムが活躍してる。
汚れや場所によって使い分けるだけだからコツを覚えると掃除が楽しくなる。子供と一緒に掃除をしても怖くないしいいことだらけ。
今までなんで場所別の洗剤に惑わされていたんだろう。不思議・・・
塩麹や醤油麹、甘酒を使うようになってから全然他の調味料が減らない。
塩麹だけの味付けで十分美味しいし、ドレッシングも塩麹を使っているから市販品の出番が全然ない。
ドレッシングを最後に買ったのはいつだろう。
物を捨てて増やさない生活をしてみて思ったこと。
「なくても生活していける」
今まで物に溢れた生活はなんだったんだ!と思うほど。
減らしたことで掃除も簡単になったし迷うことも減った気がする。
断捨離ってこういう効果があったのね。と今更ながら気がついた。
野菜が美味しいと何もしなくても一品になる。
実家から送られてくる野菜がとてもおいしい。
今日はキャベツの塩麹漬けにごま油をちょっとかけたサラダを提供。
私の手は何も加えていないのにすごく美味しい!
いや、むしろ手を加えない方が美味しい野菜だ。
この味をいつまでも食べ続けたいと願うのだが...
どこでも同じような野菜が手に入るかというとそうではない。
店舗で購入するとどうも野菜臭い。
美味しい野菜を食べた時って食の満足度がすごく高い。
きっと高い料金を支払えば美味しい野菜が手に入るだろう。
しかし、それでいいのだろうか。
多くの人に野菜の違いを知ってほしい。
私は、生産者の努力や思いを知りたいと思い始めている。
野菜の作り方をしらない。
地方都市で育った私は野菜の作り方をしらない。
スーパーで野菜の選び方、買い方を覚えたけれど、野菜がどのように作られるのか知らない。
あたり前のように野菜を買っているけど野菜がどの季節が旬で、どんな環境で育っているか知っている人はいるのだろうか?
そもそも、数パーセントの農家か食を支えているってすごいことだし、どうやって?と疑問に思うことろですよね。
野菜ってどんな種でどんな環境で作られているんだろう。
どうして実家から送られてくる野菜と味が違うんだろう。
あたり前すぎて見えていないけれど食には不思議が多い。
そんな不思議の多い食だから自ら育てて収穫までしてみたい。
なにか面白い発見があるんじゃないだろうか。
日本人はそうやって観察して発見して文化を築いてきたんだろうな。