きうちのきろく

考えたこと、好きなこと、悩みごとのきろく

作りだせるということが自信につながる。

いつからか漠然とだけれど何かを作りだしたいと思っていた。

 

なんでだろう?

 

私が過ごした時間は欲しいものはある程度購入できた時代だった?

夏休みの感想文は書き方がわからなくていつもあらすじを写し、ポスターもあたりさわりのない絵を描い表現する練習をさけ、工作も本などをみて真似をする・・・

そうやって苦手なことから避けてきたから自ら何かを作りだすという行為を知らないで成長しちゃったのかな?

小学校で評価されることなんて気にしないでもっと自由に表現できていればよかったね

 

頭が固い子だったな~。

 

自分でも作ればよかったのにね?

なんで挑戦しなかったの?

 

そうだね。そのころは「自分は?」なんて考えないで、ただひたすら毎日を過ごしていたんじゃないかな。まあ、小さい時そんなもんなんじゃない?

私はいつから絵は苦手、音痴でスポーツもそこそこ。勉強も中くらい。そしていつも姉の後ろをついて回る妹というポジションで自己肯定感を下げていたからかな。

 

挑戦しないこと、自ら何も生み出さないって全然いいことないよ。

失敗を知らないと解決方法が見いだせないし、失敗できなくなって挑戦もできない。

文章でも絵でも料理でも工作でも何も作らないのは評価も得られなくてどんどん自分の世界だけになる気がする。

 

そんな私が今「あ、周りはどんどん進んでる」って気がつかされて焦ってる。

といっても、焦った所で仕方がないから、コツコツと時間を積み上げていくことが大切。

 

味噌も醤油も仕込んでから1年、ぬか漬けは日々格闘。

塩麹や甘酒も環境作りが大切。

そんな簡単なこと。でも大事。

 

どんな野菜を食べるか、どんな器具を使うか、どんな風に器具を育てるか、季節行事の意味や料理、そんな風に暮らしをつくる時間が今は自分と向き合える時間ですごく充実している。

 

自己表現をする方法はこんなにも沢山あったのに・・・

と、過去を悔いても仕方がないので、明日は何を作ろうかな。

何で飲むかで印象がかわる。

「水分の摂取量がすくないよね?」

私はそんなことを良く言われます。

 

トイレに行くのが面倒くさいとでも考えているのか意識的に飲まないと1日の水分量が1リットルぐらいの時もあるほどです。

 

でも、やっぱりからには良くないようでずっと便秘気味でした。

 

そして、ふと感じたことがあるんです。

 

それはペットボトルのお茶だとなぜか飲みきれないということ。

 

食事中の味噌汁や帰宅後の飲み物は積極的に飲めるのに仕事中のペットボトルはなぜか飲みきれない。なぜなのか・・・

 

そこで、飲み物をタンブラーにいれかえたところ、同量のお茶があっという間になくなってしまった。

 

あぁ、私はお茶が苦手と言うわけではなく、ペットボトルの飲み物が苦手だったのだと気がついた。

水分の摂取量はこういったことも理由だったのかも。私はペットボトルでは美味しく飲めなかったのかもしれない。

 

そして、飲み方を変えた結果1日の水分量が増えたと共に排便のリズムも整うようになり、便秘生活が徐々に改善されたおかげかイライラが減少した。

 

やはり、何で飲むかという気持ちはとても重要で、改めて飲み方とい文化の広がりに感動を覚えた。

公園に行ったのにレジャーシートを忘れたよ。

とってもいい天気だったから公園に行こうかと新宿御苑へ。

 

突然決めたことだったからお弁当なんて持っていない。

 

でも、最近はデパ地下の総菜は種類も豊富でお弁当が美味しそう。

みんなでお弁当を選んでいざ入場!

 

天気が良いからどこもかしこも人だらけ。

やっとこ気持ちの良さそうな場所を見つけて腰を落とそうとしたとき・・・

レジャーシートが無いことに気がついた。

 

いくら天気が良くて芝生でも、シートになるものが欲しい。

新聞?ビニール袋?

 

いやいや!私には風呂敷があったんだ!

珍しく鞄の中には風呂敷が2枚。十分なスペースを確保できまして、のんびりとご飯を食べることができました。

 

かさばらないし、袋にもなるし、抱っこひもにもなる万能な布。

雨の日は鞄にかけると雨除けカバーにも。

洗える所もいいポイント。

 

鞄に1枚あると便利だと思いますよ。

おいしい野菜が食べたいというだけじゃない。

スーパーで食材を購入する時にどんなことを考えて購入していますか?

 

賞味期限?

美味しさ?

パッケージ?

新鮮さ?

値段?

 

多分昔の私はどれも当てはまっていなかった。

 

なぜかって?

母親に依存した生活をしていたからスーパーで買い物をする基準なんて全く知らなかった。商品の数が多すぎてどれを選んでもおんなじでしょ?という感覚。

しいていうならば「値段」かな。

だって、どれでも同じなら安いやつってなるでしょ。

 

そんなことだから結婚してからすっごくビックリされた。

「何考えてるの?」って顔してただろうな~!懐かしい。

 

それからかな。食材ってどうやって選ぶんだろうって考え始めたのは。

新鮮さや賞味期限、産地、生産者って情報を見て購入するまでに成長したの。

 

そうかそうか。美味しい野菜はこうやって選んでいくのね♪と学んだのも束の間。

旦那さんのお父さんから野菜をいただいて私は衝撃を受けた・・・

家庭菜園とは言えない畑で作る完全無農薬の野菜。

空いた時間でせっせと畑で作業をして愛情をたっぷり注がれた野菜は私がこれまで食べてきた野菜とは全然違った。

野菜臭くない。甘みがある。そのままで美味しい。

 

食卓が潤うってこういう感じだ。

豪華な食事じゃない。美味しい野菜が食卓にあるだけで幸せなんだ。

今年はこんな味だったね。来年の野菜はどんな味かなと想像を膨らませ、お父さんが野菜を育てたり収穫する姿を思い出してさらに美味しさはアップする。

「美味しいね~!」と会話も増えて楽しい食事。

 

だれが作っているかわかる野菜の買い方が良いな~と最近はマルシェに足を運ぶようになりました。

生産者と話をして野菜の育て方や種類、見分け方など色々聞いて購入する。そんな買い方が気持ちいい。見かけない野菜に関しては料理方法を聞いたりして、ただ野菜を購入するだけより楽しいし、レシピも増えて嬉しいよね。

 

そうそうこれこれ!私はおいしい野菜が食べたいというだけじゃない。できるだけ生産者と話をして買いたいんだ。

ぬか床ちゃんがいい調子。

何度か断念しているぬか漬け生活を再び復活!

 

どうしてかって?

ぬか床を育てる日々が続けば続くほど食材によって浸かり方が違うこと、ぬか床の風味が変化していく様子が楽しいからかな。

もちろん、ぬか床の乳酸菌が活発になりすぎてすっぱくなったり、酵母が働きすぎてアルコール臭くなったり失敗もするけれど、どうしたら機嫌よくなってくれるかなってぬか床と会話できている感じが密かに嬉しかったりするよ。

 

漬ける食材はまだまだ初心者。

人参にきゅうりにカブにゆで卵。風味づけにニンニクやショウガも入れてるよ。でも、あんまり違いがわかってないけどね!

 

人参のぬか漬けは子供も美味しいって食べてくれるから嬉しいの。昨日なんかいただきますをする前につまみ食いをして1人でペロッと食べてたの。

「ママのないよ」なんて言っちゃって。可愛くて憎めない。

 

最近の悩みは大根のぬか漬けが上手くいかない事。

内側まで使ってなくて外は漬けものらしくなっているの内側が変な食感になるのはなんでなの?

台所に置いてちょっぴり乾燥しちゃった大根だったからかな?

今度はみずみずしい間に漬けてみよう。

 

「発酵」というワードに出会ってから始めたぬか漬け生活だけど、ぬか漬けの仕組みを知れば知るほどこんなすごい智慧を知らなかったなんてもったいない。体に良いと言うだけじゃない自然の力を活かして生活に取り入れているのが驚き!

昔は冷蔵庫もなかったし、野菜の保存って言うのは大事なことだったからどうやったら野菜を美味しく長期間保管しておけるかを考えて、ぬか漬けにたどり着いた過程に感動だよ。

 

ぬか漬けの達人になるにはまだまだ修行が必要だ。ぬか床に手を入れて美味しくなあれと可愛がろう。

 

見えていた?感じていた?考えた?想像した?

周りが見えていると思っていたけど違ったね。

私が見えていたのは他人の目。

正しいことか、正解か。

そんなことばかり気にしていたのかも。

 

私の目の前には常に挑戦者がいた。

挑戦者はいろいろな失敗をして前に進んでいくけれど、そんな姿を見ていた私はラクして前に進んできた。

お化け屋敷で目の前でお化けに驚く光景とかみていたら怖さも半減するよね?

 

わざわざ苦労しようなんて考えなかったんだね。

 

まねごとばっかりでわからない事は誰かに頼って生きてきた。

挑戦者のまねごとで生きているのにときどき自分の意思で進路を決めるから自分の人生を生きているように思うけど違うよね。

ただ生きることで時間を過ごしていただけ。意思が含まれているような勘違い。

そんな生き方で将来何がやりたいかなんて考えられるはずもないよね。

 

 

でもね、そんな人生も日本の文化と微生物のおかげでガラッと変わった。

米麹、味噌、醤油、日本酒、みりん、お酢・・・

色々な調味料が出来上がる過程が美しいと感じたの。

 

自然と共存をしながら試行錯誤を繰り返して完成した麹。麹を活かして少ない材料で味噌や醤油の調味料を作りだしたこと。

それが現在まで続いていること。微生物の力を活かして加工方法まで確立したこと。

自然が身近にあることで動物や自然に感謝することを忘れない心。

そんな暮らしが心の豊かさを成長させていったのかとワクワクさせられた。

 

それは調味料だけに限らない。

野菜や果物が生産される過程、料理道具の進化、米の品種改良私たちの身近にあるものは何百年何千年と積み重ねられたものが今に至っている。

気づきあげた智慧をつなげていくことが神秘的に感じて「私も何かしなくちゃ」そんな気分にさせられた。

 

大事なことは人からだけじゃない。自然と触れ合うことでわかることもあるんだよ。

 

もっと周りをみよう。

どんな発見があるかな?どんな生物が生きているかな。

 

もっと感じよう。

今日はどんな天気だろう。風だろう。どんな匂いがする?

 

もっと考えよう。

他の生き物はどんな暮らしが気持ちいいのかな?その行動は周りにどんな影響を与えるのかな?

 

もっと想像しよう。

子の調味料を合わせたらどんな味になるかな。どんな組み合わせがいいかな?

どんな表情をするかな?

 

私に考える楽しさを教えてくれたのは微生物。

台所に立つことで調理器具、調味料に触れて考える楽しさを教えてくれた。

なぜそうしたいのか。なぜそう考えるのか。

煮詰めていくことで私は自分らしく生きるということに近付いている。

学生以降植物を育てたことが無い私がヤブコウジとミントを買った。

発酵醸造のイベントに参加をしてから青山のファーマーズマーケットに何度か足を運んでいます。

 

自然栽培の食材や、オーガニックのお菓子などいろいろな店舗が出展されていて見ているだけでワクワクします。マルシェとかってオシャレなイメージでなかなか踏み込むことができなかったんだけれどみなさん気さくに話しかけてくれて雰囲気がとてもいい。

 

今日はそのファーマーズマーケット苔玉と出会いました。

丸い苔玉に生えたヤブコウジ

小さくてかわいらしいフォルムに目が釘付け。

植物って手入れが面倒で毎日水やりなんて・・・とすごく批判的に感じていて育てたことがなかったの。でも、最近農業に興味を持ち始めて育てるって大変なことだけどすごく楽しそうって思って、自宅でも何か育てたいなと考えていたの。

だからといって、じゃあ野菜を作ろうというのは自信がなくて手が出せなかったんだけど、出展者の方にヤブコウジは日陰でもしっかりと成長してくれて、苔玉は水分が抜けて軽くなったら水を吸わせてあげればいいと教えてもらって手入れも簡単そうだったから買ってみた。

 

野菜じゃないけれど、植物を育てるって行為は同じでしょ?

 

どんな環境がこの植物にとっては気持ちいんだろう。そんな風に植物を愛でる気持ちはきっと同じだと思うから、まずは私なりのペースで自然と向き合う時間を作ろうかな。

 

そんなことを考えながら子育てと似ているな~と思った。

子供がイライラいしているとき、わがままを言い続けるとき、変なタイミングで泣きだすとき、私はその瞬間の子供の気持ちが理解できなくてまっすぐ対抗してしまうけど、自らイライラのスパイラルに飛び込むことはないよね。

理解できたら一番いいのかもしれないけれど、子供の気持ちをすべてわかってあげるのは難しいことだから、今この瞬間をどうやったら楽しい方向に変えられるかそんな風に考えられるクセが植物を育てる中でクセになっていくと良いなと思う。