みんなが絶賛するおばあちゃんの煮物が食べたい!
旦那さんの実家に帰省すると必ずと言っていいほどおばあちゃんの煮物は絶品だった。という話を聞きます。
食べたことのない私は頭にはてなマークで、食べてみたいと言う欲求だけがムクムクと湧いてきます。しかし、おばあちゃんも1人で料理を作るのは面倒になってきてしまっていてお願いすることができなくなっちゃった。
どんな味だったんだろう。
こんなにも人の記憶に残る味が作れるおばあちゃんはすごいな。と味を受け継ぐと言う重要性をひしひしと感じる瞬間だった。
これからどんどんそういう風に感動できる味が減っていくんだろうなと思ったら、私は少しでも長い期間を経て積み重ねてきた味をつなげる仕事をしたいと思った。
だって、醤油も味噌も木樽で作る蔵は減少しているということを知っていますか。
長い期間をかけて熟成させて、職人と微生物の共存から生まれる独特の香りと味は工場で大量生産される調味料とは全く違います。
日本の歴史が何百年と築き上げてきた味が徐々に失われている現実を多くの人が気がつかなければいけないと思います。
だから私はこれから成長する子供たちがこの感動に出会えるように、先人達が築いた食・暮らしの智慧をつなげる役割をしたい。
試食ができる八百屋があるといいのにな。
野菜を購入する時にどんな風に選びますか?
見た目ですか?色ですか?値段ですか?産地ですか?味ですか?
野菜を購入する時って少しでも新鮮な物をって考えて選びますよね。
まっすぐ伸びて調理しやすいもの。青々として新鮮そうなもの。
でもそれってすごく不自然じゃないですか?
全部綺麗にまっすぐで虫が食べたような跡もない。
なぜそんなことができるのか。不思議じゃないですか?
まがっていても、二股に分かれていても野菜は野菜です。虫だって美味しい野菜は大好物!白菜に青虫がついていたら「わ!」と驚きますが、逆に考えると虫も好むほど美味しい野菜ということではないでしょうか。
虫が好むほど美味しい野菜はどんな味がするのでしょう。気になりませんか?
まぁ、虫がついていたら食べられない・・・
私も最初は実家から届く野菜に虫がいることに驚きましたが、虫が選ぶということはそれだけ糖分もあり美味しいということです。
農薬も使っていないので、虫も安心して食べられる野菜と言うことです。
私たちはいつから綺麗で虫も食べない野菜を選ぶようになったのでしょう。
そこで、お店にまがったきゅうりとまっすぐ育ったきゅうりが販売されていた場合、普通ならまっすぐなきゅうりを買いますよね。ですが、試食ができたとしたらまた違った見方になるのではないでしょうか。
形がいびつでも、美味しいきゅうりだったらどうでしょう。
どちらを購入するか悩みませんか?
見た目や値段ではなく味や生産者を知って購入できる。そんな八百屋があっても面白いのにな。
どんな風に見られたいの?
自分ってどんな人間?
自分に対するコンプレックスがあったから考えてこなかった。
だからかな?
したい髪型も、着たい洋服も、持つ物も、しゃべり方も、しぐさもすべてなにか不自然。何に対しても満足できていなかった気がする。
きっと、自分の事をわかろうとしなかったからだろうね。
どうしてそんなに誰かと比べてたんだろう。
認められたいと思っているのにできない自分。
相手と比較してダメな自分ばかり見て落ち込む。
マイナス面ばかり見てるなんてもったいないよね。
良い面をどーんと主張すれば良かったのにね。
気がつけてよかった。
髪型も洋服も身につけるものもぜーんぶ自己表現のツールなんだね。
だから自分の存在がわからずに身につけていたものがしっくりこなくてあたり前だね。
自分が好きだ、ワクワク・ドキドキを感じる物を集めていこう。
どんな私になるんだろう。
ストーリーのある商品っていいよね。
この野菜どんな人が作ったんだろう。
野菜が作られた環境はどんなところだろう。
この食器はどれくらいの職人さんによって作られているんだろう。
商品には作られるまでのストーリーがたくさんあります。
その中でも特に人の手によって作られた商品には、原材料から商品になるまでの流れのなかに職人の商品に対する思いや熱意があるので、使うたびに思い出したり、想像したり日々の暮らしが楽しく感じます。
商品を購入する時にどんな基準で購入しますか?
デザインですか?
使いやすさですか?
価格ですか?
以前の私なら使いやすさと、価格だったかな。
だって使いやすくて安いなら良いじゃないですか。
でも、ある時気がついたんです。
私が使いやすいと思っていた商品は、一般的には使いにくいものだったということに。
価格は高くても、使いやすくて長持ちする商品ってあるんですよね。
そして、生活にすごくフィットするんです。不思議ですよね。
日々の暮らしの中の一部をちょっと変えただけなのに使うたびにワクワクする。
商品の選び方をちょっと変えただけなのに台所に立つのが楽しくなる。
購入時の価格は高くても、使い心地や商品の満足度を思えば安いと思う。それに、原料のこと、職人の細かい技術や思いを知ると価格の理由にも納得がいく。
そんな風に商品に対する見方や考え方が変わったことによって、暮らしが楽しくなったことはもちろん、物欲が減り物で溢れると言うことがなくなりました。
雨の日は風呂敷が大活躍。
雨の日の装備がバッチリな時の子供との雨の散歩は楽しい。けれど、昨日のように朝は晴れていたのに午後は雨・・・という状況は「早く帰りたい」と言うのが本音。
晴れのち雨の日は折りたたみ傘ですよね。
朝晴れていると長靴履くのを忘れてしまったりしませんか?
折りたたみ傘はサイズが小さく子供と手をつないで歩いていると子供が濡れないように必死に傘を前に出して歩くので背中側ってビッショビショになりませんか?
特に私は両手が空くようにリュックを使っているので鞄が悲惨な状況になります。
そんな時の救世主が超撥水風呂敷。
私は鞄の中には常に風呂敷を1枚いれています。
突然荷物が増えた時。帰りに買い物をするとき、突然雨が降った時。どんなときでも助けてくれるのが風呂敷です。
昨日は雨が激しく早く帰りたいと思っていた私だが、久しぶりの雨に大喜びの子供。
急いで帰ってくれるわけもなく、雨を楽しみます。
あきれたため息をつきながらも楽しそうにしている笑顔をみると文句も言えず・・・
結局まぁいいかと遊びに付き合ってしまう。
足元は長靴ではないので諦めて、鞄だけは濡れいないように風呂敷で包んで見たところ、風呂敷のデザインが可愛いからかリュックを風呂敷を包んでも可愛いかった。
鞄が雨に濡れることなく、雨の日の楽しみがまた1つ増えた。
雨の日は風呂敷。そんなブームがきそうだな。
実家から届いたキャベツがすっごく美味しい。
キャベツが美味しい。
ブロッコリーが美味しい。
原木しいたけの香りがいい。
食べ物が美味しいだけで笑顔になれる。
疲れてイライラしていても野菜の甘さに「美味しいね!」と伝えずにはいられない。
家庭料理って豪華じゃないけど幸せ。
土井先生の本を読んでから特に食卓で味わうご飯の重要性を感じる。
野菜が美味しいと何が良いかって、出汁をとらない味噌汁を作っても野菜嫌いな子供がパクパク食べるの。
子供の舌ってすごく敏感で大人より味の変化に厳しいの。
美味しくないときには絶対に食べない。時々私でさえも「この野菜は青臭くて食べれない」と思う野菜に出会うことがある。
だから私はすごくもったいないと思ってる。
なぜかって?
だって美味しくないなって思う野菜買っているんだよ?
趣味で作ってる野菜のほうが美味しいってどういうこと。
野菜高いな~!と思うこともあるでしょ?
安さを求めすぎた結果が今なんだろうね。
私は野菜の育て方、野菜の手入れ、収穫そのほかにも流通に乗せるために色々な大変な作業の事を知らない。
オーガニック野菜との差はなんだろう。
安心して食べられるということももちろん重要だけれども、値段だけでなく商品の美味しさや生産工程、生産者の事まで知って納得して購入してもらうためにはどうしたらいいのだろう。
自然と共存しながら生きている農家は本当に素晴らしいと思う。
野菜の美味しさの不思議を調べるためにも自分でも野菜作りに挑戦してみよう。
キウイのホットケーキはちょっと違いました。
平日はおにぎりと味噌汁が食べたい私ですが、土日の朝はパンケーキが食べたくなる。
最近は甘酒とちょっとの砂糖でほんのり甘いパンケーキ。
フワフワしているのよりもしっかりとした感じが好みです。
私が小さい頃、おばあちゃんが作ってくれたバナナ1本入ったホットケーキがとっても美味しかった記憶はあるのだけれどどんな風に作るのか覚えていない。
ホットケーキの真ん中にただただバナナが1本入っていただけのような印象なんだけど・・・そのままバナナ入れて焼くと柔らかくなってぐちゃぐちゃなパンケーキができた。あれ?こんなホットケーキじゃなかったぞ。
バナナも入って焼かれていたのは記憶違いだったかな?
今日はキウイを沢山いただいて余っていたので、ホットケーキにいれてみた。
そしたら・・・すっぱいホットケーキになった。
まぁそうなるよね。想像できるよね。
ホットケーキがすっぱいって・・・腐ったホットケーキだよね。
キウイに申し訳ないことをした。
そのまま食べてもらえていたら美味しいキウイだったのに。
私が責任をもって全部食べましたが。
最終的にでた結論は、フルーツはそのままで美味しいんだからなにもホットケーキに混ぜて焼かなくてもホットケーキとフルーツで食べたほうが美味しいのかもということ。
想像できる味かもしれないけれど実際にやってみて失敗することも大事だよね。
キウイはダメだったって記憶に残るから。