美味しい野菜が食べたくて・・・
美味しい野菜が食べたくて、田舎に帰りたいと思っている。
実家から送られてくる野菜が異常においしくて、塩麹を漬けるだけで満足な一品になる。ブロッコリーは特にわかりやすい。実家の野菜は青臭くなく野菜らしい甘さがある。
何がちがうんだろう。
テレビで「野菜が甘い!」と表現しているのをみると、「またまた何言ってるの」とコメントに対して疑いを持っていたけれど、美味しい野菜は本当に甘さがあることを実感した。
最近は麹が働いて生み出すうまみや米本来の甘さに魅了されて、市販の料理やデザートで感動することが減ってしまった。
菌に魅了されて、体が求める美味しものの基準が変わってきたなと笑えてしまう。
自分でも野菜を作りたい。葉っぱを食べる青虫を観察したい。自然の厳しさを体感したい。そうやって土や虫、自然全体に触れることで日々の生活に対する考え方も変わりそう。
私たちが日々熱心に除菌・殺菌していること。野菜が不自然な程にまっすぐで綺麗なこと。味の変わることが無い味噌。
暮らしのワクワクはどこにあるのだろうか。
お父さんが野菜を作れなくなったらどうしよう。
私が感じた感動をまだまだ野菜の美味しさに気がついていない人達に
教えてあげたい。
食事が美味しいってそれだけで幸せになれるんだよ。
高いお金を払って美しい料理もいいけれど、家庭で食べる美味しい食事も幸せだよね。
一汁一菜でよいという提案を受け入れて。
仕事・育児・家事と時間に追われギブアップ!と宣言しそうになった時に出会えた本。
結婚当時、食事はできるだけご飯、味噌汁、メイン、副菜は欲しいとリクエストがあったので子供が生まれてからも続けようと努力はしたけれど、すべてをこなすには私にも限界がある。
「できません」と宣言するものの、夫からは「今日はこれだけ?」と冷たい言葉がつきささる。
きっと悪気はないのだろう。
でもなぜか、妻として失格の様な気持にさせられる。
周りはすべてこなせていて、私の要領が悪いのだろう。と自己嫌悪に陥った。
そんな時、“忙しいんだから一汁一菜でもいいんだよ”という本の言葉に救われた。
“料理を作ると言うだけで家族のことを愛している”
なぜだろう。不思議と肩の力が抜けた気がした。
これまで慌てて作った中途半端な料理に自分自身があきれ、どうしたものかと悩ませていた私はスッキリと考え方を切り替えて、一汁一菜の提案を受け入れた。
全力でお米と味噌汁を作り、麹で漬けた野菜を食べる。
そうすることにより、時間に余裕ができ、子供ともイライラせずに向き合える。
私は重要なことを間違えていたのかもしれない。
家庭料理は完璧じゃなくてもいい。食卓を囲んで楽しむということが一番なのかもしれない。
夫からの批判をはねのけて、これからも私なりの精いっぱいの一汁一菜を作っていこう。
美味しい野菜に出会えなくなる日も遠くない気がする。
おいしいとはなんでしょう。
私は炭水化物が好きです。
最近になって特に美味しいと感じるように思ったのはお米ですね。
これまでは、食べれればなんでもいいと食に対してこだわりのない私でしたが、味覚が敏感な子供ができてから、どのお米なら満足なの!子供が美味しいと思う味はなんなのか・・・と美味しさの追求が始まりました。
そして、美味しさを追求する過程で、今まで気がつかなかった味の違いや食感、炊きあがりの匂い、色つやの変化が楽しくなって最近ではおにぎりは白米のままか味噌をつけて食べるのがブームになりました。
何もしなくても食材は美味しい。
そんなことを考えさせてくれる時間でした。
お米の美味しさと出会いと同時に麹を知り、甘酒に魅了されていきました。
私たちが口の中で行う分解活動がこんな身近にあったなんて・・・
炭水化物そのまま食べるより効率的じゃないか!
いいことづくしだ。
そう。ここでもお米は関係している。
色々な米麹を購入して甘酒を作ってみると、地域によって味が異なり、それぞれお米の美味しさが違うのと同じことなのかな、とまた好みの米麹を探す楽しみが増えた。
最近では購入することでは事足りず作ることにも夢中になっている。
私はお米に出会い、米麹にであい、麹菌を知った。
日本人なのにいまさら・・・と少しのショックを感じたが、出会えてよかったとホッとした。なにより、麹菌が繁殖する生命活動の美しさに出会えたことが嬉しい。
そんな可愛い微生物を観察していると、微生物は私たちの身の回りにたっくさん生息していて、暮らしを支えていることを知った。しかし、同時に微生物は薬や化学物質によって住めない環境になっていることも考えさせられた。
農薬を散布された土の中には微生物は生息することができず、化学肥料頼り。
微生物が栄養や野菜のうまみ・甘みを生み出していたのだ。
そのほかにも果物にも農薬が付着して酵母菌が発生しない。
玄米は発芽しない。
自然では考えられない事が増えているという現実に驚かされる。
私たちの暮らしは自然界との共存によって成長してきたはずなのにどうしてだろう。
なぜ私たちは価格だけをみて食物を選んでいるのだろう。
生産者の思いや自然的な美しさを感じられるためにはどうしたらいいのだろう。
そんな思いから、私もゼロから野菜を作ってみたいと考えている。
みんなが絶賛するおばあちゃんの煮物が食べたい!
旦那さんの実家に帰省すると必ずと言っていいほどおばあちゃんの煮物は絶品だった。という話を聞きます。
食べたことのない私は頭にはてなマークで、食べてみたいと言う欲求だけがムクムクと湧いてきます。しかし、おばあちゃんも1人で料理を作るのは面倒になってきてしまっていてお願いすることができなくなっちゃった。
どんな味だったんだろう。
こんなにも人の記憶に残る味が作れるおばあちゃんはすごいな。と味を受け継ぐと言う重要性をひしひしと感じる瞬間だった。
これからどんどんそういう風に感動できる味が減っていくんだろうなと思ったら、私は少しでも長い期間を経て積み重ねてきた味をつなげる仕事をしたいと思った。
だって、醤油も味噌も木樽で作る蔵は減少しているということを知っていますか。
長い期間をかけて熟成させて、職人と微生物の共存から生まれる独特の香りと味は工場で大量生産される調味料とは全く違います。
日本の歴史が何百年と築き上げてきた味が徐々に失われている現実を多くの人が気がつかなければいけないと思います。
だから私はこれから成長する子供たちがこの感動に出会えるように、先人達が築いた食・暮らしの智慧をつなげる役割をしたい。
試食ができる八百屋があるといいのにな。
野菜を購入する時にどんな風に選びますか?
見た目ですか?色ですか?値段ですか?産地ですか?味ですか?
野菜を購入する時って少しでも新鮮な物をって考えて選びますよね。
まっすぐ伸びて調理しやすいもの。青々として新鮮そうなもの。
でもそれってすごく不自然じゃないですか?
全部綺麗にまっすぐで虫が食べたような跡もない。
なぜそんなことができるのか。不思議じゃないですか?
まがっていても、二股に分かれていても野菜は野菜です。虫だって美味しい野菜は大好物!白菜に青虫がついていたら「わ!」と驚きますが、逆に考えると虫も好むほど美味しい野菜ということではないでしょうか。
虫が好むほど美味しい野菜はどんな味がするのでしょう。気になりませんか?
まぁ、虫がついていたら食べられない・・・
私も最初は実家から届く野菜に虫がいることに驚きましたが、虫が選ぶということはそれだけ糖分もあり美味しいということです。
農薬も使っていないので、虫も安心して食べられる野菜と言うことです。
私たちはいつから綺麗で虫も食べない野菜を選ぶようになったのでしょう。
そこで、お店にまがったきゅうりとまっすぐ育ったきゅうりが販売されていた場合、普通ならまっすぐなきゅうりを買いますよね。ですが、試食ができたとしたらまた違った見方になるのではないでしょうか。
形がいびつでも、美味しいきゅうりだったらどうでしょう。
どちらを購入するか悩みませんか?
見た目や値段ではなく味や生産者を知って購入できる。そんな八百屋があっても面白いのにな。
どんな風に見られたいの?
自分ってどんな人間?
自分に対するコンプレックスがあったから考えてこなかった。
だからかな?
したい髪型も、着たい洋服も、持つ物も、しゃべり方も、しぐさもすべてなにか不自然。何に対しても満足できていなかった気がする。
きっと、自分の事をわかろうとしなかったからだろうね。
どうしてそんなに誰かと比べてたんだろう。
認められたいと思っているのにできない自分。
相手と比較してダメな自分ばかり見て落ち込む。
マイナス面ばかり見てるなんてもったいないよね。
良い面をどーんと主張すれば良かったのにね。
気がつけてよかった。
髪型も洋服も身につけるものもぜーんぶ自己表現のツールなんだね。
だから自分の存在がわからずに身につけていたものがしっくりこなくてあたり前だね。
自分が好きだ、ワクワク・ドキドキを感じる物を集めていこう。
どんな私になるんだろう。
ストーリーのある商品っていいよね。
この野菜どんな人が作ったんだろう。
野菜が作られた環境はどんなところだろう。
この食器はどれくらいの職人さんによって作られているんだろう。
商品には作られるまでのストーリーがたくさんあります。
その中でも特に人の手によって作られた商品には、原材料から商品になるまでの流れのなかに職人の商品に対する思いや熱意があるので、使うたびに思い出したり、想像したり日々の暮らしが楽しく感じます。
商品を購入する時にどんな基準で購入しますか?
デザインですか?
使いやすさですか?
価格ですか?
以前の私なら使いやすさと、価格だったかな。
だって使いやすくて安いなら良いじゃないですか。
でも、ある時気がついたんです。
私が使いやすいと思っていた商品は、一般的には使いにくいものだったということに。
価格は高くても、使いやすくて長持ちする商品ってあるんですよね。
そして、生活にすごくフィットするんです。不思議ですよね。
日々の暮らしの中の一部をちょっと変えただけなのに使うたびにワクワクする。
商品の選び方をちょっと変えただけなのに台所に立つのが楽しくなる。
購入時の価格は高くても、使い心地や商品の満足度を思えば安いと思う。それに、原料のこと、職人の細かい技術や思いを知ると価格の理由にも納得がいく。
そんな風に商品に対する見方や考え方が変わったことによって、暮らしが楽しくなったことはもちろん、物欲が減り物で溢れると言うことがなくなりました。